気づきによる自己変容に役立つように『奇跡講座 下 受講生のためのワークブック』の一部を抜粋・つなげさせて頂きました。自主学習のお供に。
奇跡講座(ACIM)は、聖なる言葉の音叉のようなものです。
ぜひ本書を手に取り、原文をお読みください^^
読むだけで、自然とエネルギーが調います。
中には理解しがたい文や、動揺したり、
どうしても強い拒否感が湧き上がることもあるでしょう。
それは奇跡講座(ACIM)を学ぶ誰もが経験する通過儀礼のようなものです。
不調に慣れ切っていると、それが正常になります。
奇跡講座(ACIM)が不調を癒し始めると、アンバランスで取っていた均衡がリバランスされていくプロセスで強い不快感を感じるのです。
それを通り過ぎ、本来の自然な状態に戻るととてもラクになります。
心のセルフ整体と言ってもいいかもしれません^^
【レッスン185】私は神の平安を望む
この言葉をただ口にしたところで何の意味もない。
しかし、それを本気で言うことはすべてに値する。もしあなたが、ほんの一瞬でもそれを本気で言うことができるなら、もはやいつどこにいても、どんな形においても、あなたに哀しみはありえない。天国は再び完全に自覚され、神についての記憶はあますところなく取り戻され、すべての被造物の復活が十全に認識されるだろう。
彼は神の平安を望み、それが与えられる。
それが神の望むすべてであり、受け取るすべてだからである。
誰であれ二人の者が、この言葉は自分たちが望む唯一のものを表現しているということに合意するなら、世界は完全に変容するだろう。
一つの意図をもとった二つの心は非常に強力となり、彼らが意志することは神の意志とひとつになる。真理の中でのみ、心は心とつながることができるからである。
夢がもたらすことができるのは妥協だけである。
ときには、それが融合という形態をとることもあるが、それは単に形だけである。夢のゴールは妥協することであるから、その意味は必ず夢から抜け落ちる。心と心は夢の中では融合することはできない。ただ、駆け引きをするだけである。そしていったいどんな駆け引きが、神の平安をもたらせるのだろうか。自分の利益と他者の損失のために妥協しようとする眠った心には、神が真に意味するものが見失われてしまう。
神の平安を望むと本気でいうことは、一切の夢を放棄することである。
この言葉を本気で言う者は、誰も幻想を望まないし、それゆえに幻想をもたらす手段を追求することもないからである。
平安こそが自分の望むすべてである、と本気で言う心は、必ずほかの心とつながることになる。
ほかの心とつながることが平安を得る方法だからである。平安を求める願望が真のものであるとき、平安を見出す手段は、それを誠実に探し求めるそれぞれの心が理解できる形で与えられる。彼が真摯に求めているなら、レッスンはどのような形をとるにしても、彼が見間違うことのない形で計画されている。
今日の練習では、あなたが依然として大切にしている夢を探し出すために、心の中を念入りに探索する。胸(こころ)の中で、あなたは何を求めているのだろうか。願いを立てるときに自分が使う言葉のことは忘れなさい。何が自分に慰めと幸福をもたらすと信じているのかだけをよく考えなさい。
あなたは神の平安を望んでいる。そして、夢を追求しているように見えるすべての者たちも、同じである。
あなたはときどき、目的が不確かとなり、自分が何を望み、どこにそれを探し、どこにそのための助けを求めたらよいのか確信がなくなり、弱き者となることがあった。だが、あなたには助力が与えられている。あなたはそれを分かち合うことで、それを自分に役立てたくはないだろうか。
神の平安を真に探し求める者が、それを見つけられないはずはない。彼は、神の意志であるものを自分自身に拒否することによって自分を欺くことは、もうやめたいと、求めているだけだからである。すでにもっているものを求めて、満たされない者がいるだろうか。
神があなたに意志しているものをあなたが求めるとき、どうしてあなたに失敗があるだろう。あなたのそうした要請が、どうしてあなたのためだけのものとして限定されるだろう。神の贈り物で共有されないものはあり得ない。この属性こそが、すべての夢から、神の贈り物をはっきりと区別する。
神はひとつにするだめだけに与える。
私たちが追及するのはこの一なる意図である。
それは私たちの願望を、すべての胸(こころ)の必要性と合一させ、すべての心の叫び、絶望の向こうにある希望、攻撃が隠そうとする愛、そして、憎悪が切り離そうとしたが今も神が創造したままに存続している兄弟愛と合一させる。
セラピストの一言
私が継続コーチングでお伝えしたいのは、「(人生は)安心安心で生きられるんですよ」ということです^^
そうしたら臼井レイキ創始者の臼井先生も「人生の究極の目的は、安心立命を得ることにある」とおっしゃっていることを知りました。
神の平安を私たちの感じ方でいうなら、まったき安心じゃないかと想像します。
それには問題を見出さないことです。
あると思っている問題を見ないフリをするのではありません。
心眼(ヴィジョン)を用い、安心に安らぐことです。
ひょっとしたら「神の平安」と聞いて、つまらないと感じる方もいるかもしれません。
まるで物資世界の楽しみを放棄しなくてはいけないような気持になるからです。
それはあなたの「神の平安」から想起するイメージであって、全くの誤解です^^
むしろほとんどの人にとって、豊かになるように働くでしょう。
これは頭で理解することではなく、
気づきながら、体験で知る以外ありません。
あなたが求めることによって、気づきがもたらされ、必ず導かれます。
癒し(ヒーリング)の原理は、完璧を相手/状況に見ることにあります。
この世界の量子力学的機能がそれを可能にしています。
だからコーチングやヒーリングなど、二人で取り組むことには意味があるんですね^^
セラピストが完璧をお客様に見ることで、数年~数千年の学びの時間を短縮します。
臼井レイキを習ったら、一度は読みたい本。
Enjolive!の西洋式臼井レイキアチューメントで使用するテキストでも抜粋・紹介させて頂いて、手当て療法に留まらない臼井レイキの本質をお伝えしています。
他者にヒーリングをするようになったら、読みたい本。
ヒーリングは自分がするものではなく、神がするものという内容。(ア、言っちゃった!)
『奇跡講座(下巻)』のワークブックなしで「精神療法」の章のエッセンスを読みたい方向け。
下巻の最後に付録として「精神療法」の章があります。
セラピストを目指す方は、心構えとして何度も読むと良い。
上記紹介の『スピリチュアル・ヒーリングの本質ー言葉と思考を超えた意識へー』より短くまとまっています。
ヒーリングにおいてセラピストの役割は、神がヒーリングするのを「目撃すること」。
テキストばりに分厚いので読むのは大変。興味と余力次第。

