気づきによる自己変容に役立つように『奇跡講座 下 受講生のためのワークブック』の一部を抜粋・つなげさせて頂きました。自主学習のお供に。
奇跡講座(ACIM)は、聖なる言葉の音叉のようなものです。
ぜひ本書を手に取り、原文をお読みください^^
読むだけで、自然とエネルギーが調います。
中には理解しがたい文や、動揺したり、
どうしても強い拒否感が湧き上がることもあるでしょう。
それは奇跡講座(ACIM)を学ぶ誰もが経験する通過儀礼のようなものです。
不調に慣れ切っていると、それが正常になります。
奇跡講座(ACIM)が不調を癒し始めると、アンバランスで取っていた均衡がリバランスされていくプロセスで強い不快感を感じるのです。
それを通り過ぎ、本来の自然な状態に戻るととてもラクになります。
心のセルフ整体と言ってもいいかもしれません^^
【レッスン184】神の名は、私が受け継いだ賜物である
あなたは象徴によって生きている。
あなたは自分が見ているすべてのものに名前を作り出した。その一つひとつがそれ自体の名前により識別される存在となる。そうすることで、あなたは一体であるものからそれを切り取る。そうして、それに特別の属性を定め、それをとりまく空間を、自分が異なった名前を与えるあらゆるものの出来事の間や、名前を呼んで挨拶を交し合う肉体をもつ者たちの間に、それが挿入されている。
すべてのものを区別するものとしてあなたが見ているこの空間が、この世界の知覚を成立させる手段である。あなたは何もないところに何かを見ている。そして一体性のあるところには無を見ている。すなわち、あらゆるものの間や、あらゆるものとあなたとの間に、空白を見ている。そのようにして、あなたは分離の中で生命をもたらしたと考える。こうした分割により、あなたは自分が、独立の意志をもって機能する一個の統一体として確立されていると考える。
こうした名前とは、一体なんだろうか。
名前によって、この世界は、別々の出来事や統一性のないものごとの連なりとなり、分離した自覚としての心の断片を宿す、ここに切り離された肉体の寄り集まりとなる。あなたはこうした名前をそれらに与え、知覚を自分が望む通りのものに設定した。名をもたないものごとに名前が与えられ、それによって現実味も付与された。なぜなら、命名されたものには意味が与えられ、かくして有意義なものと見なされるからである。
このようにして、与えられた真理に意図的に対立する偏った視覚により、現実が作り出される。それが敵とするものは全一性である。それは卑小な物事を思いつき、卑小な物事を見る。そして、間に空白がない状態や、一致の感覚や、別の見方で見る心眼(ヴィジョン)などは、この偏った視覚にとっては、戦って否定し克服すべき脅威となる。
しかし、この別の見方で見る心眼(ヴィジョン)こそが、依然として、心が自らの知覚を用いる自然な方向で在り続けている。心に、数限りない異質の名前を教え込むのは困難なことである。それでもあなたは、それが学ぶということだと信じている。
それがその通りだという考えを学ぶ者は誰でも、この世界が実在すると主張する象徴やしるしを受け入れる。それらは、名づけられたものが存在するということに疑いの余地を残さない。期待された通り、それらは目に見えるものとなる。それが究極の現実であるから、それが真実であることを否定するものは幻想に過ぎないということになる。
これがこの世界が教えることである。この世界が教えようとするものだけにとどまる学びは、意味にまで到達することはない。この世界の学びは、正しく配置されるなら、もう一つの学びが始まる出発点になる。そこを起点として新しい知覚が得られるようになり、この世界が与えるでたらめな名前が疑問に付されて撤回されるようになる。
自分が世界を作ったと考えてはならない。幻想ならば確かに作り出した!しかし地においても天においても真実なるものは、あなたによる命名を超えたものである。あなたが一人の兄弟に呼びかけるとき、あなたは彼の肉体に訴えている。彼の心が、あなたが彼に与える名前を自分のものとすることに同意するので、彼の肉体はあなたが彼と呼ぶものに対し応答する。こうして、彼の一体性は二重に否定される。あなたは彼を自分とは分離した者として知覚し、かれはこの分離した名前を自分のものとして受け入れるからである。
あなたに必要なのは、毎日、この世界の学びがつかの間の一つの段階となる休憩時間をもつことである。その中であなたは、真の言葉、神があなたに与えた名、すべてのものが共有する一なるアイデンティティー、そして真実なるものについての一なる認識を理解する。
闇の世界を描写する卑小な名称や象徴はいくらでも使ってかまわない。しかしそれらをあなたの実相として受け入れてはならない。聖霊はそれらすべてを用いる。世界が与えている名前を単なる便宜のためにのみ使いなさい。それらがあなたとともに神の名を共有しているということを忘れずにいなさい。
神には名はない。しかし、神の名はあらゆるものが一つであるという最後のレッスンとなり、このレッスンですべての学びが終わる。すべての名前が一体化され、すべての空間が真理の反映で満たされる。あらゆる隔たりが閉じられ、分離が癒される。
神の名の意味を求める者に、失敗はありえない。神の言葉を補足する体験が必ず訪れる。
しかしまずはじめにすべての実相を表す一なる名を受け入れ、実相の数々の側面に自分が与えた多くの名前は、自分が見るものを歪曲してきたが真理の邪魔をすることはまったくなかった、ということを悟らなければならない。私たちは一なる名だけをもって練習を行う。私たちの視覚を統一するために一なる名だけを用いる。
それを用いることによって、私たちを盲目にしてきた一切の愚かな分離が消滅する。そして、私たちは、それを超えたところを見ることのできる強さを与えられる。今や私たちの視覚は、受け取りつつ与えることのできる祝福により祝福されている。
父よ、私たちの名はあなたの名です。その中で、私たちは、生きとし生けるものと、それらすべての一なる創造主であるあなたと一体です。
セラピストの一言
各人の学びの段階に応じて、疑問が生じて、気づきの足かけになるような文章です。
それでも最も重要なことを、みなが受け取れるよう最後に簡潔に示しているところに奇跡講座の細やかな優しさを感じます。
つまり「父よ、私たちの名はあなたの名です。すべての一なる創造主であるあなたと一体です。」
これがすべてであり、これだけは忘れぬようにということですね。
特別性は自我の原動力ないし、支える柱です。
内観してみると、苦しみも喜びもそこに特別性を見つけることができます。
インナーチャイルドのヒプノセラピーは、親(特に母親)に対する特別性を取り払うワークでもあります
自己変容のプロセスで、高次(ハイヤーセルフ/聖霊/宇宙/神/別の領域その他)に問いかけると必ず答えを受け取ります。
気づきまたは認識の変更なんて言われますが、ここでは神の言葉を補足する体験と言っていますね。
とても美しい表現です。
人生はとてもおもしろいです。
私たちは人生を「どうにかしよう」としてもがき悩んで、縁があった方はEnjolive!の門戸を叩いてくださりますが、実際に継続コーチングを通して自分に取り組んでみると、人生の方が私たちを教え、幸せへ導いてくれていたことに気づきます^^
耳を傾けていなかったのは、自分の方なんですね。
それに気づいていく道のりは、自分の間違いが爽やかに訂正されていくプロセスで楽しいです^^

