SCRフィールドノートは、日々感じた数字のエネルギーや、リーディングを通して見えた気づきを綴る個人的な記録です。決まった解釈ではなく、「こんなふうに数字を感じる人もいるんだ」と楽しんでもらえたら嬉しいです。
この数ヶ月、私が向き合っていたテーマの1つが、スピリチュアルカルマ【1】でした。
SCRにおいて数字【1】は、
神の男性性、天使ミカエルの象徴です。
強いリーダーシップや先見性、
高い発想力を持つ数字でもあります。
でもそれまで私は、【19】ばかり見ていて、
【1】の存在に気づきませんでした。
前回の記事でも少し触れましたが、
私は幼少期から父に進学や仕事を反対されてきました。
まさに【1】のカルマです。

今回は、スピリチュアルカルマ【1】を通して気づいたことを書いてみます。
内観や気づきのプロセスとして、参考になれば嬉しいです。
父は、とても頭がよくて、人望もあり、仕事ができる人です。
そして、私を心から愛してくれています。
しかし皮肉なことに、
私を失敗させる世界一の達人でもありました。
私が周囲に才能を認められた道も、
努力した道も、
好きだった道も、
友人関係も。
1つ1つ丁寧に叩き潰されてきたことは、
私の中で大きな傷になっています。
「変わる」と決めた30代半ば頃。
父への恨みはかなり根深く、
「この恨みを手放さないかぎり、幸せになれない」
その気づきから、私のインナージャーニーが始まったくらい、
私のって大きなテーマでした。
いろいろ取り組んだおかげで、
最近はほとんど考えることもなかったのですが、
【1】のカルマに気づいた瞬間、
私の中で、大嵐が吹き荒れました。
父の理不尽な反対を、2人の姉は受けていなかったことに気づいたからです。

私が猛烈に奪われ、
泣いて泣いて引き裂かれた道を、
姉たちは歩いていました。
苦しさに拍車をかけたのは、
父が、そんな姉たちを褒めていたこと。
どうして今まで気づかなかったのか。
どうして私には許されなかったのか。
私は一番小さかったのに・・
私には酷い言葉と共に取り上げたのに・・
感情はもうぐちゃぐちゃです。
あまりに大きな声でむせび泣いたので、
少し離れたところから、猫がジーっとこちらを見ていました。
「なぜ、なぜ、なぜ?」
「父が私にしたこと覚えてる?」
今すぐ両親に電話をかけて問い詰めたい衝動に駆られました。
でも、この視点とエネルギーで動いたところで、
良い方へ行かないことはわかっています。
ネガティブなグルグル思考から離れるには、
体を使って、目の前のことに集中する。
私には、それが一番効きます。
だから、いつもより自分に優しくしながら、
家を片づけたり、
初めての食材で料理したり、
ヒンメリを作ったり、
意識的に手を動かして過ごしました。

それでも湧いてくる感情には、
「流れろ〜流れろ〜」
「はいはい、デトックス中」
と声にして、放っておきました。
そしてやっぱり、自分から掴みに行かなければ、
思考は流れる雲のように、いつか終わります。
ある朝、コーヒーのお湯を沸かしていたとき、ふと、
「父は本当に私が可愛くて仕方なかったんだなぁ」
と思いました。
そんなことを思った自分に少し驚いて、ホッとしました。
嵐が過ぎ去ったとわかったからです。

ここで、私の思いグセについて少しお話しします。
それは、「相手を責めたくない」という強い思いです。
一見、いい人のようですが、その裏側には、
「相手のせい(で自分は傷つけられている)」
という逆説的な信念が隠れています。
そして「やっぱり19-1のカルマなんだ」と思いました。
相手を責めたくない=すでに責めているんですよね。
強い批判精神は、【19】のカルマです。
今回私は、【1】だけを見ていたけど、
結果的に【19-1】を丸ごと体験していました。
私はずっと、父を”悪者”にしたくありませんでした。
だから、父に向くはずの怒りや悲しみを、
無理やり捻じ曲げて「従った自分が悪い」と
自分を批判し続けていました。
本当は、父に傷つけられたと思っている。
でも、父のせいにしたくない。
その矛盾が、苦しさを複雑にしていました。
私は「そのまま受け入れる」ことを拒んでいました。
でもあの朝のキッチンで、「父、可愛いな」と思ったときは、
「父のせいにしたくない」と勝手に背負った荷物(父の過ち)を
父へ返していたのだと思います。
それも「左右の靴下を間違えて会社行っちゃった」くらいの軽さで。
複雑にしていたのは自分で、
「父が間違えた」と認めるだけで良かったんですね。
軽くなった心に、最後の問いを投げかけました。
どうして私は、父や母、姉たちの言葉を受け入れ続けたのか?
すかさず「みんなのことが大好きだったから」と返ってきました。
実はうすうす気づいていたんですけどね。
何を諦めようが、それ以上に大切で、優先したかったんです。

私は、”家族に才能やチャンスを奪われた可哀想な子”ではなく、
”大好きな家族をもった幸せな子”だったんだ。
そう思ったとき、フワッと心が軽くなって、
「そうだよ」と言われた気がしました。
きっと望んで生まれてきて、
魂は喜びでいっぱいだったはずです。
そこを歪めずに、ただ自分の素直な気持ち
「みんな大好き」を純粋に楽しんでいれば良かったんだな。
心の中に視えたのは、どこにも罪はなく、不足も失敗もなく、
私を愛した父と、大好きなみんなに囲まれた私でした。

【後日談】
気づきの1週間後、新規の男性クライアントさんから「ビジネスをもう1段階上にあげたい」とご相談がありました。これも「内側の変化の現れかな?」と驚きました。


