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【レッスン68】愛は不満を抱かない

奇跡講座を学ぶ
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気づきによる自己変容に役立つように『奇跡講座 下 受講生のためのワークブック』の一部を抜粋・編集させて頂きました。自習学習のお供に。

目次

【レッスン68】愛は不満を抱かない

愛によって愛と同じに創造されたあなたは、不満を抱くことはできず、あなたの自己を知っている。不満を 抱くことは、自分が誰であるかを忘れてしまうことである。 不満を抱くことは、自分自身を肉体と見ることである。

不満を抱くことは、自我があなたの心を支配するままにし、肉体を死すべきものと運命づけることである。おそらくあなたは、不満を抱くというそれだけのことが自分の心にいったい何をするのか、まだ充分に気づいていない。

それはあなたを自分の源である神から切り離し、神とは異質のものにしてしまうかに見える。そして、あなたは神のことも、今のあなたが自分自身だと思い込んでいるものと同じような存在だと信じるようになる。なぜなら、誰も自分の創造主を自分自身とは異質の存在として思い描くことはできないからである。

あなたの真の自己は、自らが創造主の似姿として創造されたことを今も自覚している。だが、その自己から遮断されている状態では、自己が眠っているように見え、あなたの心の中で眠りながら幻想をつむぎ出している部分のほうが、目覚めているように見える。このすべてが、不満を抱くことから生じているということがありえるのだろうか。まさしく、ありえるのである!というのも、 不満を抱く者は、自分が愛によって創造されたことを否定しており、彼の見ている憎悪の夢の中で、創造主は彼にとって恐ろしい存在となっているからである。憎悪の夢を見 ながら、神を恐れずにいられる者はいない。

不満を抱く者たちは必ず自分自身のイメージで神を定義し直す。それは、神が彼らをご自身と同質のものに創造し、ご自身の一部として定義したのと同じく、確実なことである。不満を抱く者たちは必ず罪悪感に苛まれ、赦す者たちは必ず平安を見出す。不満を抱く者たちは必ず自分の本性を忘れ、赦す者たちは必ずそれを思い出す。

もしあなたがこのすべてが事実だと信じたなら、 自分の不満を喜んで手放そうとするのではないだろうか。 あなたは、自分が不満を手放せるとは思わないかもしれない。けれども、それは単に動機の問題である。今日は、 不満がなければあなたがどのような気持ちになるかを発見しようと試みる。もしあなたが、ほんの少しでもそれに成功すれば、もはや再び動機が問題となることはなくなるだろう。

今日の長いほうの練習は、心の中を探索し、自分が大きな不満と見なす気持ちを抱いている相手を見つけることから始める。このような不満はいくつか簡単に見つかるだろう。次に、小さい不満のように見えるものも探し、 あなたはそれらの不満を、自分が好意をもっていたり、愛していると思っている相手に対してさえ抱いているということを考えてみる。あなたが何らかの不満を抱いていない人などいないことが、すぐに明らかになってくるだろう。 このことが、あなたが知覚している自分自身を、全宇宙の中で孤独な存在としてきたのである。

今、これらの人々すべてを友として眺めようと決意しなさい。彼らのことをひとりずつ順々に思い浮かべながら、彼らのすべてに対して次のように言いなさい。

私はあなたを友として見たい。あなたが私の一部であることを思い出し、私自身を知ることができるようになるために。

残りの練習時間には、自分がすべての人やすべてのものごとと完全に平和に共存していて、自分を保護し愛してくれる世界、そして自分のほうからも愛している世界の中で安全でいるところを思い浮かべてみる。安全があなたの周りを囲み、あなたの上に漂い、あなたを支えているのを感じようとしてみなさい。つかの間でよいから、何ものも、どのようにしても自分に危害を加えることはできないのだと信じようとしてみなさい。練習の終わりには、 自分に向かって次のように言う。

愛は不満を抱かない。すべての不満を手放すとき、私は自分がまったく安全であることを知るだろう。

短い練習の一部として、物理的にそこにいるかいないかに関わらず、誰かに対して何らかの不満の思いが湧き上がってくるようなら、いつでも、速やかに次の形で今日の概念をあてはめる。

愛は不満を抱かない。私が自分の自己を裏切ることがありませんように。

加えて、一時間に数回は、主題概念を次の形で繰り返す。

愛は不満を抱かない。私はすべての不満を退け、キリストの中で目覚めることにより、真の自己に目覚めたい。

セラピストの一言

面白いのは、私たちは無意識に自分の延長上に神を想像するということです。

不満を持っているなら、神も不満を持つ存在として考える。

神の不満は自分に向けられているように思うので、罪悪感を抱く。
同時に、神が自分を罰するような恐ろしい存在に思えてしまう。

↑ここですごく神と自分が離れてしまいますね。

罰するというのは、自分以外の相手が必要です。
神と自分が一体であったなら、神は自分を罰することができません。

単純に怒られると思うと怖いし、
怒られないと思うと安心しますね。

神と一体である人は、
怒られない安心感でのほほんとしているでしょう(笑)

それすなわち信頼とは言えないでしょうか。
愛されている自信かもしれません。

上記の応用で、
相手に不満を抱いているということは、
自分と相手が離れている状態です。

あらゆる人の間でそれをしてしまうことが、
自分を孤独にしています。

それは私たちの心の中で行われていることなので、
心の中でつながりを取り戻しなさいということでしょう。

自分を孤独にしないことは、
自分に対してできる最高の愛の行為じゃないでしょうか。

それが私たち心の自然な状態だって言っているわけですがw

これを俯瞰して見ると、奇跡講座のテーマである「心が一つ」「1つの心」という情景が浮かび上がります^^


奇跡講座(ACIM)は、聖なる言葉の音叉のようなものです。
内側を調えてくれます。

ぜひ本書を手に取り、原文をお読みください^^

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