変わると決めた日。「変わりたい」をやめたら、新しい人生が始まった。

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これまでに何度か大きな転機がありました。

1回目は、4歳で自我がバチッと目覚めたとき。
2回目は、18歳で〇殺願望からヒプノセラピーに救われたとき。

そして、3回目の「変わる!」と決めた37歳のあの日から、
今の私はつながっています。

今回はそのときのお話です。

目次

あっという間の20年・・

37歳のときの私は、見事に人生どん詰まり。

どこを向いても袋小路。
頭の上に”四面楚歌(しめんそか)”の文字が浮かんでました。

四面楚歌:助けがなく、まわりが敵・反対者ばかりであること。

「ここで変わらなきゃもう無理!」と強く思った瞬間、血の気がサーっと引いて、フリーズしました。

なぜなら10代の頃から、「変わらなきゃ」「変わりたい」を言い続けていたことに気づいたから。

ということは……20年?!
やばいやばいやばい!!!!

あと20年、同じ調子を続けたら、あっという間に60歳になっちゃう!

今でも「変わるには遅すぎる」と思ってるのに、
60歳になったら「もう無理」になる。

それで生き永らえたら、80歳・・・

人生70年弱を「変わらなきゃ」「変わらなかった」で過ごすつもり?!

ホラーな未来予想図。決意の瞬間

突然、フワッと未来の自分が脳裏に浮かびました。

午前10時、誰もいない明るい室内。

安っぽいダイニングテーブルに、
白髪の老婆がひとり。

みかんの皮を無言で剥きながら、
こう思ってるんです・・・

60歳でも若かった…40歳なんて可能性のかたまりだった。
今さら遅いと思わず、気づいたあのとき!せめて60歳のあのときに!
動いていれば良かった
のに……(メソメソ)

私の人生何だったんだろう。何もしなかった。
せっかくもらった時間を無駄にしてしまった。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。

あんなに自分がこうなったのは親のせい!みんなのせい!
そう背を向けて一人になったのに、むしろあの頃よりも何もしていない。間違っていたのは自分でした。ごめんなさい

哀れな劣等感と罪悪感を抱きながら、
死ぬ日がくるまで生きているだけの惨めな自分の姿がありました・・・

ぎゃーーーーー!!!!
ぜっっったいにイヤ!!!!!!

変わる!
私、ここで ”変わる”!!

何をすればいいかわからないけど、未来の“こなきババア”には絶対にならない。

断固拒否。

再び脳裏に浮かぶ「四面楚歌」の文字。
退路はない。

ここから後ろに一歩も引くな!
前に足を一歩、出せ!出すんだ!
うぉぉぉぉぉぉおおおーー!

それにね、、

変わりたい自分に、ホトホト飽きました。

いつまで経っても、先に進まない。
いつまで経っても、自分に自信がない。
いつまで経っても、人に自分を見せられない。

私にとって「変わらなくちゃ」は、
やりたいことをやる前のひと仕事”になっていました。

「変わらない」限り他に手が付けられない。

人生が広がらない。
同じ場所で足踏みだけ。

もう、いい加減にしよう。

全てを先延ばしにしている自分に
嫌気がさしました。

足踏みをやめて、
止まっている人生にエンジン入れよう。

”変わる”を始める”変わりたい”をやめる

このとき大きな気づきがありました。

それは、

「変わりたい」間は、
変わらない自分であり続ける
ことで、

「変わる」のは、
違う自分になる
ということ。

変わりたい自分の延長上に、
”変わった”自分はいない。

例えるなら、
「青になりたい」赤か、「青になった」元赤か。

赤をやめないと、青にはなれない。

「変わりたいじゃなく、”変わる”をやる」

丸ごと変わる。

やり方はわからない。

だけどとにかく、丸っきり”変わる”と決めました。

おわりに

これが今の私のはじまりでした。

「変わらなきゃ」と思ったとき、”20年変わっていない自分”を見つけて10代の頃の自分に申し訳なかった。

当時の私は、アラフォーの自分にもっと夢や希望をを抱いていたのに、
私は全然その期待に応えてなかったって。

60歳、80歳になったとき、同じ後悔をしたくない。

これは繰り返しちゃいけない過ち。

こうして強い決意の元、私の第二?第三?の人生が始まりました。

かなこ
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